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こんにちわ♪

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キリマンジャロ登頂回想録

キリマンジャロは、高さ19,710フィートの雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂きはマサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ(神の家)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高い所まで、その豹が何を求めてきたか、今まで誰も説明したものはない。
『アーネスト・ヘミングウェー(Ernest Hemingway 1899-1961)「キリマンジャロの雪」より。』





kilimanjaro


キリマンジャロの雪 DVD




タンザニア在住中。

この『神の家』と呼ばれるアフリカ最高峰に一応登ってきた。

本当は、俺は登りたくなんかなかったんだよ。

なにせ5000メートル級の山だ。
もうその上には、空気すら存在しない。
さらに寒い。
しゃれにならん。

しかし、日本からの友人の手紙には。
『キリマンジャロのある国なんですよね!ぜひ、一度は登ってみてください!』とか。

『タンザニアに住んでいて、キリマンジャロに登らないなんて、愚かですよ!』とか。

『キリマンジャロのてっぺん付近に、ヒョウの死体があるらしいです。確かめてください!』とか。

非常に無責任なお手紙がたくさん来ていた。

さらに、診療所の連中からは。
『お前は絶対に登れない。全然運動してないじゃん。バイクばっかり乗り回して、タバコぷかぷかふかしてるだけじゃん。』
と、思いっきり『むり!』と否定され。

それだけではなく、やつら賭けを始めた。

と言う事で、俺のオッズはものすごく高く。

登りきったら、俺の帰国最後まで。
朝飯食い放題。全部おごりね♪

という事になった。


結果は。

登りきりましたよっ。

しかも一番てっぺんまで。

これは、体力とか、登山のスキルがあるとかという問題ではなく。

ただ単に、意地と根性で登りきった結果だと思う。


キリマンジャロは、その高度の変化に伴い。
ジャングルからはては氷河まで。
全ての気候を体験できる、珍しいところでもある。

しかし、ただでさえ過酷なアフリカの生活。
そこにさらに空気と温度まで取り上げられてしまったら。
ちょっとしゃれになりません。


以下は、キリマンジャロ登頂記録を書き綴っています。



アフリカはタンザニア。そこにすんでて、この山に登らないわけはない。
いや、登った後で言えることだが、あの山は人の行くところではない。
スワヒリ語で、『霧の山』、マサイ語で『ヌガイエ・ヌガア(神の家)』と呼ばれるこの山は、本当は行ってはいけないところなんだと認識した。
これは、キリマンジャロ登頂に成功した筆者の当時の日記からの回想録です。





地図


キリマンジャロ登山にはマラングルート、ムウェカルート、ウムブウェルートなどいろいろあるが、もっともポピュラーなのはマラングルートだ。

このキリマンジャロ山の頂上は標高5896mのウフルピーク。富士山より2000m以上も高いが、毎年おおぜいの観光客が訪れ、頂上を目指す。5000m級の山だから高山病は油断できないが、全く山登りの経験のない人でも意外と簡単に登ったりする。そうかと思えば、常日頃から運動を欠かさないスポーツマンが途中でダウンしてしまったり、最悪死人まで出るというなかなか侮れない山なのだ。

なにを隠そう、俺は山登りなんか嫌いなのだ(笑)。何がつろうて、そんなことをしなきゃならないんだっとずっと思っていたんだけれども、診療所の連中より
『kalunguyeyeは絶対にキリマンジャロなんかに登れない。だってタバコは吸うし、ちっとも運動してないもん。もし登れたら昼飯ずっとおごってやるよ。』
とまで、全員一致で『登れない』と断言しやがったのだった。

くっそ~。むかつく~。
これは、もうなんていうかそのプライドというか、意地というか、お昼がかかっているからというか、絶対に負けられんという気持ちが非常に強かったのだ。

これはそんなキリマンジャロくらいに高いオッズをつけられ、闘い抜いた一人のニセモノ登山家の物語である(笑)



第0日「出発前日」
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登山の約1週間前、僕はキリマンジャロのふもとの街モシからバスで1時間のところにあるアルーシャに入った。ここアルーシャは海抜約1700mで、高地順応するにはもってこいだと考えたからだ。俺の住んでいたムワンザは海抜1300m近くあるが、少しでも高い標高に慣れておきたかった。何しろ診療所の連中に負けるわけにはいかない。もう100:1くらいの高いオッズとなっていたのだ。

タンザニアに派遣が決まった時、妹の彼氏(現・旦那)より、
『ぜひ、タンザニアのキリマンジャロに登ってみたいですねぇ。』などと言われていたのだ。
そう、妹の旦那は、大学時代登山部に所属していたらしい。う~ん、か細いのにも関わらず、なんて事をしていやがったのか。


アルーシャで何をしたかといえば、コーヒー飲んでたんまりしちゃってました♪
だってさ、これからわざわざ過酷な事をするのに、何がつろうていまさらトレーニングなんかしなきゃならんのよ。アフリカはバハティ(運)の世界とはよく言ったもので、俺は悪運のめっちゃ強い男だから、たぶん大丈夫だっててな感じでのんびりしちゃっていたのだった。
ここアルーシャではウィンドーショッピングが楽しめるのだ。さすがはタンザニア第3の都市。しかもこの街はお隣りケニアの首都ナイロビまで車で約4時間の近さなので、物資が豊富で街全体が活気に溢れている。

その上、ンゴロンゴロ自然保護区、セレンゲティ国立公園といったサファリの基地でもあるから、観光客がおおぜい訪れる。俺らのような外国人の姿を見つけると、
「サファリへ行かないか」とタンザニア人がしつこく声をかけてきてうざいくらいだ。

キリマンジャロ登山は、普通4泊5日の行程で行われる。1日目はモシを車で出発してマラング・ゲートへ。ここで入山手続きを済ませた後登り始め、樹の茂った道を3時間ほど登ったところで最初の宿マンダラ・ハット(標高2700m)に着く。2日目は約5時間で標高3780mのホロンボ・ハットへ。2日目にして既に富士山の頂上である。3日目は岩だらけの道を進み、キボ・ハット(標高4700m)に泊まる。4日目は寝る暇もなく夜中にハットを出発し、頂上を目指す。標高5895mのウフル・ピークに着いたら、あとは一目散に下山。キボ・ハットで休憩をしてこの日のうちに2泊目のホロンボ・ハットまで降りる。5日目はひたすらゲートを目指して下山して、もしウフル・ピークまで登ることができれば、ゲートで登山証明書がもらえるはずだ。

さて、今回一緒に登山するメンバーは俺を含めて5名。一応全て日本人だ。一人は俺と同じく、タンザニアに居住していた俺の仲間だ。
マフィア島で漁師をしている俺の大親友のF。標高0メートル地帯からの無謀なる挑戦だ(笑)
後は日本からわざわざと、こんな山に登るためにやってこられた奇特な俺の親友たちだ。
今思うと、ばっかじゃん?としか思えないが、当時日本からのお客様は非常に貴重な存在だったのだ。何しろ日本食を密輸してくれるからね♪





第1日 その1「出発」
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朝、5時半起床。昨日の夜は遅く寝たから、もっと遅くまで横になっていたかったけれど、朝日のなかのキリマンジャロを見たかったのと、やはり神経が高ぶっていたのかベッドでじっとしていられずに起きてしまった。
そうこうしているうちに、あたりの闇が次第に薄れていき、薄い紺色の空気の中にキリマンジャロのシルエットが浮かびでてきた。太陽が顔を出すと、景色は一変する。起きたばかりの太陽の光線を受け、キリマンジャロは鮮やかな姿に変身する。今日も天気がよさそうだ。


朝食を食べるため5階のレストランへ。モシで宿泊したCoffee Tree Hotelのレストランは、天気がいいと本当に見晴らしがいい。今朝も雲ひとつない快晴で、アフリカの真っ青な空にキリマンジャロがそびえている。朝日を浴びた山は手が届きそうなくらい間近に見える。
「きょうからあの山に登るんだ~。」
そう考えると、正直うつだった(笑)。もう、登る前から負け犬状態。こんなんで俺は果たして登れるのか?

朝9時にきのうのツアー会社の車がホテルまで迎えに来てくれた。時間にルーズなタンザニア人とはいえ、さすがに外国人を相手にしているツアー会社は時間どうりに迎えに来てくれた。
まずはツアー会社の事務所に寄り、そこで我々日本人5人組の世話をしてくれるガイドのボンゴと合流した。そんなに大きな体ではないが、しっかりした頼りになるやつ、という感じのガイドだ。ツアー代金はきのうのうちに払ってあるので、食料品を積んでしまえばあとは事務所に用事はなく、ツアー会社の倉庫へ行って、そこで足りないものをレンタルして、不要なものを置いていく。フリースしか防寒具を持っていなかった俺は、ダウンジャケットと毛糸の帽子、カッパ、そして厚手のソックスと予備の手袋を借りる。
「つえはいらないのか?」
と訊かれたが、その時は借りずに済ませた。けれど、ガイドのボンゴがしきりにつえを勧める。
『じじいじゃないんだから、杖なんかいらないのに・・・。』
と思ったものの、なにやら俺の本能が告げていた。
(ここは借りておけ。)
果たしてこれが吉とでるか凶とでるのか…

さらに雑貨屋さんに寄ってミネラルウォーターとお菓子を買い込み、市場でザックの雨よけにする大きなビニール袋を買って準備完了。モシの街を後にしてゲートへと向かう。

車で40分ぐらいかかっただろうか。途中ウトウトしているうちにMARANGU GATEに着いた。ゲートで僕らがすることは、入山用の書類を記入することだけ。ボンゴがポーターの手配や面倒なことはすべてやってくれるので、僕らは完全にお客さま状態。土産物屋を覗いたり、一緒に登るはずだったのに登れなくなった日本の友人に絵はがきを書いたりして時間をつぶす。

ゲートの看板の前で記念写真を撮って、ちょうど12時にゲートを出発した。看板の横には秤があって、そばには僕らの荷物が山のように積んであり、ポーター達が待っている。これから重さを量って、ポーターの荷物の割り当てが始まるらしい。俺らはそんな事には関係なく、ボンゴが先に登ってろとお弁当を持たせてくれたので、ぞろぞろと登り始める。このルートは一本道だから、迷うこともないだろう。

まだこのあたりは標高が低いので、登山道の両側には樹が生い茂っている。ちょっとしたピクニック気分で足取りも軽いが、あまり急いで登って高山病になっても仕方ないので意識的にペースを落とす。もっとも、まだ標高2000mのあたりだからそんなに気を使わなくてもよいのかもしれないが、頭痛がしてから後悔しても遅いので、周りの景色でも眺めながら(とはいっても林だから視界が広がってるわけではない)ポレポレ(のんびり)歩く。

なにかの情報誌に。
『一日目は楽勝です』なんて書かれていたが、それなりに疲れた。うそは書いちゃいけないよ。




第2日 その1「まだすがすがしい朝」
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目覚めると、きのうの霧雨模様の天気とはうってかわり、すがすがしい青空が広がっていた。ハットの外で深呼吸して朝の空気を胸いっぱいに吸い込む。マンダラハットは森の中に建てられているが、朝の眩しい光を森の緑が和らげてくれる。

下のほうのハットでは煙突から煙がたなびいている。僕らが泊ったハットには煙突なんてなかったから、きっとムピシ(コック)が料理をするためのハットなんだろう。なんとなく日本むかし話にでも出てきそうな光景で、なつかしいような穏やかな気持ちに満たされる。森でさえずる鳥たちの鳴き声が、いっそう和ませてくれる。

高山病で幻覚をみた、という話をキリマンジャロに登った日本人から聞いたことがある。その幻覚というのがまたすごい(というかおもしろい)。
目の前にとつぜんエレベーターが現れてドアがするすると開き、エレベーターガール、それもとびきりかわいいエレベーターガールが乗っていた。そして、「下へまいりま~す」とエレベーターガールに言われてしまったものだから、ついふらっとそのエレベーターに乗り込んでしまいそうになったという話だった。
マンダラハットはまだ標高2700m。まだ幻覚を見るにはちと早い。

今朝もすごいごちそうだ。スープで体を暖めて、目玉焼きにウインナー、もちろんパンもでてくる。体格のいい欧米人の基準で料理を作っているのか、はたまた残り物をポーターたちが食べるのかは知らないが、とても食べきれない。(あとで、ポーターに何をたべてるかたずねたら、ウガリ(タンザニアの普通の主食)しか食べてないと言ってたけど…)

さて、ここでトラブルが早くも発生。
俺の親友Fがおなかを壊してしまった。彼はめちゃくちゃ大食漢。昨夜食いすぎたのだ。
もう笑えるくらい、ひどい下痢である。




第2日 その2「ホロンボへの道のり」
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ご飯を食べたら、さっそく出発の準備。歯磨きした口をすすごうと水道の水を手ですくったらさすがに冷たい。昼食のお弁当と、飲み水をつめてもらったペットボトルを受け取り、自分で運ぶ荷物をパックしたら、あとはポーターに荷物をあずけて、いざ出発。
8時20分、全員が元気にマンダラハットをあとにした。約一人下痢で辛そうだったが・・・。

マンダラハットを出発してしばらくは森の中を歩くことになる。沢を越えたりするから、日本の登山道を歩いているのとあまり変わらない。鼻歌でも歌いながら歩きたくなるようないい気分だ。


マンダラハット付近にて

まだ余裕しゃくしゃくの筆者。サルみたいにぶら下がってはしゃいでます(笑)



じつは2日目の行程はよく覚えていないのだ。どんなところを歩いたのか、いまひとつはっきりとは思い出せない。何度かアップダウンを繰り返し、眼下に広がる森の緑がだんだん遠くなっていくのは覚えているが、途中どんなところを歩いたか記憶にないのだ。

ひとつ覚えているのは、白黒コロブスと呼ばれるサルが本当にいた事。
彼らも、ワシントン条約、サイテスに載っているほどのVIPなのだ。
聞くところによると、ハットの近辺には結構いるらしい。なんでも登山客の残飯目当てでやってくるのだそうだ。たくましいぞ白黒コロブス。



白黒コロブス

本当にいた白黒コロブス。マンダラハット近くにて。





第2日 その3「ホロンボハット満員御礼」
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なんだかんだ言って、俺とF、5人の中で真っ先に第二ハットのホロンボへ到着。
タバコを吸う余裕もまだある。余裕しゃくしゃくだ。
Fが高度順応のため、ホロンボハットから少しいくとゼブラロックというところがあるからそこまで行ってみようと言い出す。
正直寒い。そして5人揃わないと、飯も食えない。その前に、まだガイドも到着していなかった。
という事で、高度順応トレーニング開始。

10分経過・・・。まだゼブラロックは見えない。


30分経過・・・。まだまだ見えない。


1時間経過・・・・。まだ見えない。おかしい、道に迷ったのだろうか?


さらに30分ほど経過すると、ようやくそれかなぁ?というような岩が見えてきた。


思ったより遠い、そしてそのゼブラロックはすっごく遠くにちっちゃく見えるだけだ。



ゼブラロック

ゼブラロック周辺の高山植物。右手の奥のほうに、ゼブラロックが小さく見えるんだけど、写真じゃよくわからない。


ふぅ、とんだくたびれもうけだ。さらにFはホロンボまでの帰り道、頭が痛くなってしまったようだ。高山病の発症である。


ハットの食堂は登山者で満員だった。ホロンボハットは登山するものも下山するものも両方泊まるのだ。これから登る俺らには、山から降りてきた人たちが陽気に騒いでいるのがうらやましい。ビールなんて飲んでるけど、大丈夫なのか?
夕食を食べようとぎゅうぎゅう詰めの食堂の僕らのテーブルの席につくと、日本人の姿をみかけた。
食後に話をしてみると、一人で山登りに来ていて、頂上まで登って下山しているところだという。
俺のようなにわか登山者じゃなくて、ほんとうに山が好きなんだろう。
なんか単なる負けず嫌いで登っている俺が恥ずかしくなってきた。

今夜の食後のデザートは、な、なんとプリン。
タンザニアではプリンなど入手不可能。
そういえば、以前マラリアで寝込んだとき、無性にプリンが食べたかった事があった。
診療所の連中が、『プリンとはどんな食べ物だ?俺たちが作ってやろうっ』なんて言ってたけど、俺も作り方があの時はよくわかんなかった。たまごと牛乳使っているって事しか。


ホロンボハットの標高は3780メートル。ということは富士山の頂上ぐらいの高さにいることになる。
今のところ、俺に高山病の兆候は診られない。ただ笑ったりするとすぐ息が切れて苦しくなってしまう。
そして、ついにFと日本からの友人はどうも軽い高山病にかかってしまったらしい。食事をしているときから頭が痛いと言っていたが、やはり海抜0メートルからいきなり登り始めた2人が最初にかかってしまったようだ。おまけにFは調子に乗って高度順応と抜かして、高いところまで登ったから、余計にひどいのかもしれない。朝までに薄い空気に慣れて、治ってくれるといいのだが。



ホロンボから望むキリマンジャロ

ホロンボから見えるキリマンジャロサミット。もう笑顔は消えています(笑)






第3日 その1「ホロンボハットの朝」
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11月25日、第3日目。朝6時起床。
疲れのとれない体をもぞもぞと動かし、寝袋からどうにかはい出す。外に出ると、きれいな朝焼けが広がっていた。さむい。タンザニアに住んで初めて経験した、寒いという感覚。
ちょっとやばいよ、ここ。



今朝一番の仕事はトイレ。この寒さのなかでズボンを下ろすのにためらうが、所詮は動物だから生理にはかなわない。個室に入り、勇気を奮ってズボンを下ろし着膨れして窮屈な体でしゃがむ。
出すものも出てしまい、水を流して個室を出た。
そうそう、マンダラハットとホロンボハットのトイレはなんと水洗なのだ。水洗といっても、ハンドルを引っ張るとジャーと流れる水洗ではなく、もうひたすら渓流のように流れているのだ。流れが止まると、寒さで凍ってしまうからだとの事。

食堂のテーブルにつき、トイレですっかり冷えきった体をチャイ(紅茶)で暖める。甘い甘い紅茶がこんなにおいしいと思った事はなかった。そしていつものように豪勢な朝食がつづく・・・が、どうもFと日本からの友人は元気がない。高山病確実だ。そして俺もここに来て、昨日まであった食欲が急激にダウン。

それでも、元気のもとはやっぱり飯だ。がんばって食べるのだ。

出発は8時15分だった。



ホロンボハット出発の朝
ホロンボあたりまで登ると、完全に高山植物の世界で、地上ではみたこともないような植物があちこちに生えている。植物の名前には詳しくないので何と呼ぶのかは知らないが、巨大なサボテンみたいなのや、白い変わった花をつけている植物がたくさん生えていて、もうマニアには最高だ。

しかし、こんな植物が見られるのも、ラストウォーターポイントを過ぎるあたりまでのこと。このラストウォーターポイントにはちょろちょろとした小川が流れていたが、ここを過ぎると目に見えて植物が減っていく。







第3日 その2「歩兵」
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きょうは異変が起きた。最初の2日間は俺とFがはるか先頭を歩き、ずっと遅れて日本からの友人ペアと、最後に日本の友人、こいつはおっさんだ、がどんじり争いをしながら登ってきたのだが、Fが軽い高山病になってしまったので、遅れがちだ。きのうの高地順応で疲れたのか、俺も遅れ気味だ。


ホロンボハット裏の風景
やがて植物が完全に姿を消し、だだっ広い石っ原をとぼとぼ歩く事になる。狭い登山道でひとりっきりというのは以外と平気だが、なんにもない広い空間にひとりきりというのは相当に心許ないものだ。このだだぴろい平原というのは、草も生えていない。だからといって砂漠でもないのだ。岩がごろごろしている、夢の中に出てきそうな原風景。

ホロンボからキボへの道のり


別に夢で見た覚えはないんだけれども、なんとなくそんな錯覚に襲われる。俺も高山病が発症し、幻覚でも見始めているんだろうか?

タバコが吸いたい。でもそんなタバコもない。その前に、あったとしても酸素が少ないから吸えないだろう。吸う元気がないという意味で。


みんなが昼飯を食べ終えて、今日は一緒に出発。やがて、ガイドのボンゴが『あそこが今夜のハットだ。』とず~っと遠くに見えるキボハットを指さした。

キボへの道

遠くに見えるところが最終地点だ。とにかく寒い。


きのうはホロンボハットが見えてから意外と思ったよりも早く着いたのだが、今日はそういうわけにはいかなかった。


歩いても歩いても一向にハットが近づいて来ないのだ。無味乾燥な石っ原を歩いていると、時間がゆっくり流れていくのかもしれないし、本当に時間がかかっているのかもしれない。異次元の世界を歩いているようで、感覚がちょっと狂っているのかもしれない。


ホロキボ02

そう、ここはあの世の玄関口なのだ、と思えてしまうような風景だ。



酸素不足と、ひどく殺風景なこの景色は、幻覚を誘発するのに好適なのだ。俺もそろそろエレベーターガールがお迎えに来るのだろうか?


ホロンボハット

キボヘ向かう途中で休憩。もう笑顔は出ない(笑)





ようやくハットに近づいたところで、いきなり坂になった。まるでいじめだ。
坂はまったく急ではないのだが、情けないくらいに登る足取りが重いのが自分でも分かる。5歩走ったら息切れしてしまいそうな薄い空気をちょっとオーバーなくらいに深呼吸しながら1歩1歩まえに進み、午後1時40分、ようやく海抜4700mのキボハットに到着した。

ホロンボハットから高山病が始まっていた2人もたどり着き、5人全員がキボハットまで登ってきた。



ギルマンズポイント

規模へ向かうポーターたち。なんと驚くべきことに、彼らはサンダルなのだ!


第3日 その3「高山病発症」
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ハットに着いたのはいいがじっとしているととにかく寒い。かといって動き回ればすぐに酸欠で苦しくなる。しかも、なんだか頭が痛いような気がする。ついに高山病か?
ムピシ(コック)が沸かしてくれたお茶にはみんなが群がりあっという間に空っぽ。でも今日のお茶はなんだか生ぬるいぞ。高度が高くなってお湯も沸騰しなくなっているせいなのだろうか。
しかし、いまの俺らには生ぬるくてもちょっとでも暖かければなんでも嬉しい。
もう限界に挑戦しているようなもんなのだ。


「きょうは高度順応しないの?」
と、最後の元気を振り絞ってギャグをかましてみたけれど、だれも相手にしてくれない。ただひらすら寒さに耐えながら横になって時間が過ぎるのを待つ。日本の友人は寒さに耐え兼ねて日本から持ってきた使い捨てカイロを袋からとりだし、ふりふりもみもみしてみるがまったく熱くならない。空気が薄くて化学反応しないようだ。


ボンゴが、「夕飯だよ」と起こしに来てくれ、夕飯を運んでくれた。翌朝の出発が早いので今日の夕飯はずいぶんと早い。メニューもスープとパスタといたって簡単だ。しかし、ぜんぜん食欲がなく、自分のお腹が空いているかどうかさえ分からないから、あまり食べる気にならない。それでも、あしたは頂上まで登らないといけないからと思い、無理にスープに口をつけ、パスタを5,6口押し込んだ。

ところがこれがいけなかった。夕飯を食べてしばらくすると猛烈な頭痛に襲われた。やばい、脳に行くための血液が、飯を食ったことにより胃袋に向かってしまったようなのだ。
きっつぃ~、あたまいてぇ。


起きていてもつらいが、かといって横になっていてもつらい。ボンゴが夜11時に起きて、深夜0時に出発するからと言い残して食器を片づけた。
電気を消して、真っ暗な部屋でがんがんする頭を抱えがら、ただ目をつぶって耐えていた。ねむれないまま亀のようにのろい時計の針を眺めていた。





第4日 その1「ギルマンズ攻略」
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23時にボンゴに起こされる。一晩中ガンガンする頭痛と寝袋に入ってもがたがた震えるような寒さと格闘していたので、結局眠ったのか眠れなかったのか分からないが、起こされたということは少しは眠っていたのだろう。

前夜、夕飯を食べて大失敗をしたので、クラッカーには目もくれず、なま温い紅茶だけ飲んだ。とにかく水分をとることだけは忘れなかった。

疲れがたまって重い体に追い打ちをかけるような厚着をして、のそのそと動きだす。ホロンボハットですでに高山病が始まったFと日本の友人一名は、ずーっと頭痛に悩まされてベッドの上でうんうんうなっている。ボンゴがFに
「ほんとに登らないのか?」
と声をかけるが、Fはここでリタイア。もう一名もキボハットに残ることになった。
残りの三人の組み合わせで頂上に向かうことになった。
俺以外の日本人二名は、俺よりも年配なのだ。一人はおっさん、もう一人ももうおばさんだ。こりゃぁ、負けちゃいられない。


満月をちょうど過ぎたころなんだろうか。まんまるの月が空に浮かび、月明かりが足下を照らしてくれる。
午前0時、予定どおりキボハットを出発。しばらくはだらだらした登りが続き、ボンゴを先頭に、俺、おっさん、おばさんと続き、最後からムピシが一緒に付いてきてくれ、1列にならんで歩いた。昨日までは自分のペースで歩けたが、きょうはガイドのペースに合わせて一緒に登らなければならないので、ちょっともどかしさを感じる。


ホロキボ

途中の風景。何もない。


だらだらした歩きがとつぜんきつくなった。急斜面にへばりつくようなつづら折りの道に変わったのだ。道とはいってもあってないようなもので、靴が沈むような砂利の道だから、足が取られてとても重く感じる。1歩1歩、歩幅がせまくなっていくが急斜面を登っているので少し歩いただけでもどんどん高度が稼げる。下を見下ろすと遅れてハットを出発したパーティーのヘッドライトの明かりがはるかかなたに見える。

2度目の休憩が終わって、さあ出発というときになって、おばさんがなかなか立ち上がらない。登るペースも前の3人からは明らかに遅く、これ以上一緒に登るのは無理だとボンゴが判断して、前の3人のグループが先に登り、おばさんははムピシに付き添われて自分のペースで登ることになった。とにかく無理は禁物だ。

4日目の登りは、前日までとは打って変わったような急斜面の登りで、しかも、登れば登るほど斜面が急になっていく感じがする。足はどんどん重くなっていくので3歩歩いては立ち止まって呼吸を整える。ほんとは腰を下ろして休みたいのだが、これまではゆっくり登ればいいといっていたボンゴが、今日に限ってはなかなか休ませてくれない。一度座ってしまうと体が冷えてしまうからだそうだ。
靴紐が解けたので、結ぼうとがんばるが、なかなか結べない。なんてこった、もう思考が正常じゃないのか。


ある地点に達すると、ボンゴが『ここがあの有名なレオパードポイントだ』という。

キリマンジャロは、高さ19,710フィートの雪におおわれた山で、アフリカ第一の高峰だといわれる。その西の頂きはマサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ(神の家)と呼ばれ、その西の山頂のすぐそばには、ひからびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。そんな高い所まで、その豹が何を求めてきたか、今まで誰も説明したものはない
『アーネスト・ヘミングウェー(Ernest Hemingway 1899-1961)「キリマンジャロの雪」より。』

しかし、そんな事は既に頭に入らない。

『後どのくらいで到着するの?』
とボンゴに聞いてみると。

『そうだな、後2時間くらいってとこかな?』

マジかよ、しゃれにならん。


そんなこんなで、5~10分が過ぎたところだろうか?



その休憩はとつぜんやってきた。

(あれっ、さっき休んだばかりなのに・・・)

と内心思ったが、ボンゴが「ここで休もう」という。話を聞けば、そこはギルマンズポイント。

ボンゴが我らをがんばらせるため、わざと嘘をついたのだ。

よくよく見れば、レオパードポイントから15メートルくらいじゃないか。

でも、その10~15メートルが本当に遠く感じたのだ。


しかしながら、まだまだと思っていたので意外と早く着いてしまって拍子抜けしてしまう。このギルマンズポイントはキリマンジャロ山のクレーターの縁に位置する。人がようやく5,6人ぐらい立てるだけの場所に看板の支柱だけが立っていた。

しかし、こんなところで長居は無用とばかりに、10分程の休憩をとり、そそくさとギルマンズポイントをあとにした。

そう、ここはまだ頂上ではないのだ。

最終地点、ウフルピークを目指して出発だ。

さらに苦しい。杖を着きながら、一歩一歩を踏みしめるかのごとく歩く。ここに来て、杖の大切さを心から感じた。


メルー山

頂上付近より眺めたタンザニア第二の高峰メルー山とキリマンジャロの氷河


そう、ボンゴは全てを知っていたのだ。全てをお見通しだったのだ。

ボンゴはゆっくりと歩いてくれているようだが、俺には早歩きに見える。俺の後ろから、おっさんがよろよろと付いてくる。おっさんは、つきに宇宙服も着ないでたどり着いちゃったかのごとくの宇宙人のごとくの足取りだ。

キボで寝ている二人をうらやましく感じた。

AM6:00ウフル到達。左手には、タンザニア第二の高峰メルー山と氷河が見える。
これ、本当ならものすごい感動ものなんだろうが、もうこの時はひたすら下山したいとしか思えなかった。

とりあえず、登りきった。やったぞ。アフリカ最高峰。俺のタンザニアでの活動を飾るにふさわしい登頂にできたような気がした。


kilimanjaro
写真ちっちゃくて分かりづらいかもしれませんが、板に『You are now at the UHURU the highest point in Africa altitude 5895 meters (あなたは今アフリカで一番高い場所、標高5895メートルのウフルピークにいますよ)』と書かれてます。


惰性で下山。下山は登山時よりも肉体的につらい。下山というよりは、転ばないように落下しているってな感じだ。


ホロンボに到着すると、既にFとそのほか一名は下山準備をしていた。おいおい、げんきんなやつらだぜ。

Fは下山すればするほど元気になっていく。

ボンゴが一言
やつは人生を知っている・・・

この言葉は今でも忘れられない。時々タンザニア人がぽろっとさりげなく言う、まるでことわざのごとくの一言。その言葉は、非常に短く、しかしながら重い言葉なのだ。


帰りは、ホロンボで一泊するだけ。そして一気に下山だ。

ウフルピークへ最初に到着した俺は、最後に下山した男となってしまった。

なぜみんなそんなに早いのか?Fなんか他のポーターと酒盛りまでしている。

キボでうなって苦しんでいたあの姿がまるで夢のごとくだ。


マラングゲートに到着後、ピークまで上った証明書をもらった。


こうして、俺のキリマンジャロ征服はかなえられた。


certifycopy

下山後にもらった登頂証明書を手に。
登れた人だけが手にすることができる由緒正しいものなのです。



しかしながら、最後に一言。

山は登るものではありません、見るものです



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